
挫折という名の「構造」の解体
遥か30年前、音楽大学の学生だった頃、私は映画音楽の作曲家を志していた。
幸運にも、在学中に伊福部昭氏に師事し、卒業後は映画音楽の大家であり指揮者の山本直純氏のアシスタントとして、音楽界の深淵に身を置く機会を得た。タイプは全く異なるが、間違いなく「本物」である二人の天才を間近で見た私は、自身の才能の限界と、音楽への思考の浅はかさを痛感せずにはいられなかった。
音楽の巨匠達から得た知見はかけがえのない財産となったが、商業音楽やクラシック音楽という海を渡り、突きつけられたのは「ここは私が真に生きていける世界ではない」という冷徹な事実だった。
生存戦略としての「境界線の融合」
私は、自らの能力に見切りをつけた。 そして、かつて自由時間の多くを費やしていたコンピューターゲーム、ビデオゲーム業界へ飛び込んだのだ。それからおよそ30年。今日までこの世界であゆみつづけてサウンドデザイナーとして歩み続けてこられたのは、私に特別な才能があったからではない。単にこの場所が、映画音楽やクラシックの世界よりも、私自身の「固有振動数」に合っていた——つまり、居心地が良かったからに過ぎない。
数々のヒット作に関われた幸運も、ひとえに周囲にいた優れたクリエイターたちの才能によるものだ。
この歩みから得た確信がある。音の世界も、視覚や写真の世界も、驚くほど多層的であるということだ。一つのフィールドで望む結果が出なくとも、自分を活かせる「戦場(バトルフィールド)」は必ずどこかに存在する。自分が「心地よい」と感じられる環境を選択することは、逃げではなく、自らを最大化するための戦略なのだ。
そして、好きなものと得意なものを組み合わせ、独自の構造を編み出すこと。それが、今の私に繋がっている。
「写真家」という枠組みへの違和感
実を言うと、ここ数年「写真家」と名乗ることに、拭いきれない違和感を抱いていた。どこか、不協和音が鳴っているような居心地の悪さだ。人生の半分以上を「音」に捧げておきながら、なぜ「写真家」という単一の枠に自分を閉じ込める必要があるのか。
頑なに考えすぎだと思われるかもしれない。しかし、私の中の「構造」がそれを許さなかった。
本質を支える「骨組み」への回帰
私は、構造体が好きだ。物事の成り立ち、その深部にある骨組みに惹かれる。 音楽が、いかなる対位法で組み上げられているのか。 建築が、橋が、ジャンクションが、いかなる力学で支え合っているのか。
私は、その構造から設計者の人生を想起し、その構造が周囲の空間にどのような影響を及ぼすのかに想いを馳せる。
だから、私は単なる写真家ではない。単なるサウンドデザイナーでもない。 あらゆる事象の裏側にある骨組みを捉え、再構築する者。
I am a StructureR. (私は、構造家である。)
2026年1月1日 サイト刷新に寄せて
これからこの「城」を通して、皆様と共に、見えない構造の美しさを探求していければ幸いです。



