
断捨離という名の、剥離。
最近、私は「整理整頓」と「断捨離」に没頭している。 不要なものを削ぎ落とす行為は、実に心地よい。ほとんど出番のなくなった防湿庫のレンズやカメラバッグを処分し、今、最も熱量を注ぐべきプロジェクトへと資金を還流させる。購入時から価値が落ちず、時には跳ね上がることさえある光学資産の強固さを再認識しつつ、一方で10本に及ぶ「Gitzoの三脚」という名の博物館をどう整理するか……それについては、まだ答えを出せずにいる。
物理的な整理が一段落したところで、私はさらに深い場所——デジタル・インフラの深部へと手を入れることにした。
15年の堆積、さまよう思考。
撮影を始めて15年。そこには膨大なデータの山が築かれている。 外付けHDD、内蔵ドライブ、積み重なるSSD。容量が足りなくなるたびに継ぎ足してきたその山は、もはや迷宮(ラビリンス)と化していた。
「あのデータはどこへ行った?」
ハードディスクの中をさまようだけで無為に時間が過ぎていく。写真だけでなく、動画、さらには再開した音楽制作のライブラリ(一音源で数GBを消費するKontaktの森)が、迷宮の壁をさらに高く、分厚くしていく。
このままでは、創作の構造が維持できない。 私はついに重い腰を上げ、根本的な「データの持ち方」を再定義することにした。
手に入れたのは、16TBのWestern Digital「Red Pro」。 あえて割高なSSDを選ばないのは、これがアーカイブ(母艦)としての役割を担うからだ。私は散在していたデータをこの16TBの広大な海へと格納し、日付とプロジェクト名というシンプルな構造でラベルを貼り直した。
未完のセッション、枯れた承認欲求。
整理を進める中で、私はある事実に閉口した。 カタログを精査すると、そこには100を超える「未完成のプロジェクト」が眠っていたのだ。
少し始めて止めてしまったもの。あるいは発表の直前で筆を止めてしまったもの。 はるか昔、私の創作は「完成→発表→SNS/写真サイトでの承認」というサイクルで回っていた。だが、いつしかアワードの受賞や「いいね」の数に興味がなくなった。自らの創作意欲さえ満たされれば、作品をパブリックにする必要性を感じなくなったのだ。その結果、膨大な「未完成の残骸」が堆積していた。
私はこれらを潔く「未完フォルダー」へと隔離した。 思考をシンプルにするための、構造の簡略化だ。PCを立ち上げた瞬間、迷うことなく「今、成すべき創作」に意欲を向けられるように。
Kenzo Estate:すべてを引き抜く覚悟。
この作業中、私はある一つの「狂気」とも呼べるエピソードを思い出していた。 カプコンの創始者であり、経営トップでもある辻本憲三氏が、カリフォルニアのナパ・ヴァレーで挑んだワイナリー「ケンゾー エステイト(Kenzo Estate)」の物語である。
辻本氏は1990年、ナパに約4,700エーカー(東京ドーム約400個分という途方もない広さ)の土地を購入した。だが、真の挑戦はそこからだった。
氏は、カルトワインの神と称される醸造家デイヴィッド・アブリューに依頼を出す。彼は、広大な畑を一目見てこう告げたという。 「もし、今植えられているすべてのブドウの木を引き抜き、土さえも入れ替える覚悟があるなら、仕事を引き受けましょう」
当時、畑にはすでに収穫を待つブドウがたわわに実っていた。それをすべて捨て、ゼロから作り直せというのだ。 だが、氏は迷わなかった。莫大な私財を投じ、ブドウの木を一本残らず撤去。酸性が強く水はけの悪かった土壌を改良し、その土地に最も適したクローンを植え直したのである。
その「土台」への徹底的な執着が、数年後、世界中のワイン通を唸らせる「ケンゾー エステイト」の奇跡を生んだ。
土を入れ替える、未来のために。
もし、あの時に辻本氏が「とりあえず今あるブドウで」という妥協を選んでいたらどうなっていただろうか。出来上がった凡庸なワインを前に、醸造家を変え、肥料を足し、部分的な修復を繰り返す……そんな「三流の迷走」を続けていたに違いない。
土台(インフラ)が正しくなければ、その上にいかなる技術を注いでも、至高のクオリティは望めない。
今私がやっている16TBへのデータ移行は、まさにこの「土壌の入れ替え」に他ならない。 15年間であらゆる老廃物が混じってしまった土を入れ替え、これからの10年、20年の表現活動がスムーズに「熟成」できるように整えているのだ。
コピーバーがゆっくりと進むモニターを眺めながら、私は夢想する。 この浄化された新しい土壌から、一体どんな音と光が芽吹くのだろうか。
まだ見ぬ作品の種を、私は静かに、土の中に埋めていく。






